湯川カナ、吉本隆明を語る。

そのとき私は、こどもを戦場に送らないだろうか?

ずっと、自分に問いかけ続けている。
私は直接、戦争を知らない。
本を読んだり、話を聞いたり、映画を観たりして、想像することしかできない。
その度に、「私はダメかもしれないなぁ」と思ってきた。

自分の命を守るため“以上“に、目の前の丸腰の人を殺したり、奪ったりしちゃうかもしれない。
非協力的な人や弱すぎる人を、組織の効率を落としかねないという理由で排除しちゃうかもしれない。
誰よりも愛する、自分の命よりも大事かもしれないこどもを、旗を振りながら戦地に送り出しちゃうかもしれない。

……いや、やっぱり、それやっちゃダメだ。
そんな「ダメかもしれない私」じゃ、ダメだ。

万が一“そのとき“が来たら、私は、「誰がなんと言おうと、私はよくわからないもののために人の命を奪ったりできないし、私や家族の命を差し出すこともできない」と言いたい。ぜったいに。
だって、それを言えなかった人たちの、大変な後悔を、本や映画で聞いてきたのだから。
私より前に生まれて死んでいった人たちが言う、「ねえ、あなたはこんな思いはしないで」と。
その言葉を、私は受け取ったのだから。

自分を取り巻く社会のすべてがドドドドドと変容し、みんなが「これが常識だよ、おかしいのはあなただよ」と言うとき、どうやって自分に拠り、自分を樹てることができるのだろう。
権力を恐れずに「世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ」と語ったソクラテスは、死刑になった。
いや、死んだらやっぱりあかん!
地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは、裁判で天動説を認めた後に「それでも地球は回っている」と呟いたという。
……いや、でも、遅ない?

吉本隆明というひとが、みんなの流れを無視してひとり深く考えて「いや王様は裸だよね?」とか言ってはたびたび炎上し、でも考え続け、行動し続け、生き続けていた。
だから彼は言いきれたのだろう、「国家なんて、共同幻想だ」と。
それは自分自身のリアルな「生きている」を、つい「正解」らしきものを出してしまう自分をも疑い、考え行動しつづける自分の「手応え」や「摩擦」のようなもので、しっかり感じていたからではないかな。

社会はたまに、すごく冷たくて、固くて、大きく分厚い壁となる。
その壁がゆっくりと、おそらく自分自身の動きすら意識しないまま倒れてきて、小さくて弱い卵のような個人の命をぺちゃんと押しつぶす。
共同幻想に殺される。

そのときに殺されないためには?
ある日私は、とても素敵なアイディアを思いついた。
そうだ、卵パックをつくればいいんじゃない?
卵パックをいくつもいくつもつなげて、すごい構造体をつくっていったら、壁が倒れてきても卵がつぶれなくなるんじゃない?

自律分散型社会の到来だ。
たまたま立ち上げから関わったYahoo! JAPANで、私は、インターネットの本質が「自律」「分散」「協調」であることをどっぷり肌身で感じることができた。 中央集権ではなく、誰もが発信や編集の「主体」となりうる仕組みをもった社会が、始まったのだ。
弱い卵の強い構造体を、どこからともなく誰からともなくワラワラと集まってくる無数の、そしてひとつひとつに名前も顔も歴史もある個々の主体が織りなしていくことが、いまの時代ならきっとできる。

私は弱い。意思も弱い。世界を敵にまわしてひとりで戦い抜ける勇気はない。
私は弱い。「国家」に伍するような……いや、せめて“ぷちゅっと抹殺されないような“、権力も知恵も金もない。
だけど、きっと仲間はいる。いっぱいいる。
誰かの命令で、目の前の丸腰の人を殺したりしたくない人が。
弱すぎる人を排除しちゃったりしたくない人が。
自分のこどもを戦地に送り出しちゃいたくない人が。

そのひとたちはきっと、社会の在り方に違和感を抱いたりしながら、今日も自分の名前と自分の顔で、考えて行動しているんだろう。
そのひとたちはきっと、どうしたらもっと良い世の中になるんだろうと、今日も絶望的なきもちになりながら、でも自分を諦めきれないでいるだろう。
そのひとたちはきっと、これを読んで、「ここにもアホがおったわ」と思い、優しく微笑んでいるだろう。

よかったら一緒に、やりませんか?
いつか、タイミングが合うときに。いつか、みんなでみんなを守りあうときに。
“そのとき“の自分が、誰にも殺されず、誰も殺さずにいられるように。

リベルタ学舎は、これからの時代を「協働」によって生き抜く知恵と力を高める、「学び」と「実験」のコミュニティです。
産も官も学も民も関係なく、個々人が主体的・自律的な社会人として力を合わせることで、それぞれがより幸せを追求できるようになることを、そしてそんな姿を見て、すべてのこどもが未来に希望をもてる社会が来ることを、心底目指しています。
そのとき私は、もう、こどもを戦場に送らない。

そう言い切れるための学びと、日々の仕事のなかで考え行動しつづけることによる「手応え」で自分のリアルな「生きている」をしっかり感じるための実験と、“そのとき“協働“できる仲間を見つけるための場が、リベルタ学舎です。

自分に拠り、自分を樹てる……みんなで、ね。
よろしければ、ぜひご参加ください。

(湯川カナ)