湯川カナ、親鸞を語る。

覚悟とリテラシーと日々の暮らし。

時代が、変わる。

人類史上初の少子高齢化による人口減少社会、ITの進展による産業構造や日常の急激な変化、人生100年時代。
私たちはこれから、「初めての時代」を生きる。

生きるのは、大変だ。さらに、初めての時代である。「答え」なんかない。
もしも「これが『答え』です」「こうすれば、あなたは『幸せ』になります」とかなんとか言う奴がいたら、そいつは詐欺師に違いない。 これでいいのだろうか、そう悩みながら生きるしかない。 ようやく「答え」らしきものを手に入れたと握った手をそっとひらくと、そこには色を失った青い鳥の影。「こんなはずではなかった」。自問して、後悔して、それでも進むしかなくて、ごまかしたような笑いや、無力さに噴き出す涙や、隣り合うひとの温もりで、それだけはたしかな傷の痛みをそっとつつみながら、それでも生き続けるしかない。……たとえるならば、そういうかんじ。

そんな毎日こそが当たり前で、いちばん尊いんだよ。 そんなことを、親鸞が言っていたらしい。
ひとりひとりが、どう生きるべきかと悩みつつ、肉を喰らい酒を飲み、こどもたちの喧騒に囲まれ、家族といがみあったりしながら、風呂を浴び布団に入る、そんな日常こそが、いちばんの修行なのだよ、と。

私たちは、時代の大きな転換点に居合わせている。
戦後日本の社会構造がガラガラと壊れ変わりゆくなかで、あるいは思いがけない災害で、ときに丸裸で放り出されてしまうかもしれない。

そのとき自分を支えるのは、自分だけだ。
か弱くて小さくて無力でぶざまな私という人間が、ユートピアなんてない世の中で、それでも足を一歩踏み出す、覚悟と勇気。そして、大きな得体のしれない力に押しつぶされたり騙されたりして殺されてしまわないための、リテラシー。

だから私たちは、学ぼうと思う。
だから私たちは、学び合える仲間と共にいようと思う。
私たちは、信じる。自分自身の力を。 自分のなかに、どんな時代でも生き延びることができる知恵があり、どんな状況でもどう生きるべきかを自分自身に真摯に問い続ける力があることを。

これからの時代を生き延びる知恵を高める、学びの場。それがリベルタ学舎です。

(湯川カナ)

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