センス・オブ・ワンダー
センスってなんやろう?
先日、リベルタ学舎となりわいカンパニーのスタッフでミーティングをしている中で、「センス」というテーマでのディスカッションが自然発生しました。
「センスが良い」とか「センスがない」とか、日常的に誰もが言ったり聞いたりするのですが、そもそもセンスとは何なのか?
誰が定義するものなのか?
自分にとってのセンスとは?
あなたにとってのセンスとは?
それぞれの「センス」という言葉に対する考え方や感じ方を共有していく中で、議論の幅が広がり、深まり、それぞれのスタッフの人生観にも近づいていくような感覚になりました。
例えばある人にとってはセンスというのは「面白がる」というイメージだったり、ある人にとっては「日常の中でちょっとした違いに気づく」ということであったり、それぞれの「センス観」があるということに気づいていきました。
神秘さや不思議さに目を見はる感性
そんな議論をしている中で私の頭の中に浮かんできたのは、レイチェル・カーソンの名著「センス・オブ・ワンダー」の一節でした。
「子供たちの世界は、いつも生き生きして新鮮で美しく、驚きと感激に満ち溢れています」
「もしも、わたしが全ての子どもの成長を見守る妖精に話しかける力をもっていたら、世界中の子どもに「センス オブ ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいと頼むでしょう」
「この感性は、やがて大人になるとやってくる怠惰と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する変わらぬ解毒剤になるのです」大人になるにつれて、様々な経験を重ねるにつれて、結論を先読みをしてしまうことが増えるように思いますが、それは楽しくないなとも思うのです。
どうせこうなるだろうと予想してしまうことで、ワクワクしたりドキドキしたりすることから遠ざかってしまう。
でも実際には予想通りにならず、想定外のことが起きることは多々あります。
そのように考えると、自分の感性を大切にし、予想外の不思議さに敏感になることで、日常が彩られていくのではないでしょうか。
何歳になっても自分の中にあるセンス・オブ・ワンダーを大切にしたいと改めて感じたのでした。