「作品とは何か」を考える
「あなたがやってるのは、作品制作じゃなくて工作だね」
これはわたしがギャラリーで働いていた20代前半の頃、作品制作を開始した時に上司のディレクターから言われた言葉です。当時はこの言葉の意味が全く理解できず、どう受け取っていいものかとモヤモヤした気持ちが渦巻いていました。
わたしはそれまで美術系の学校に所属したことがありませんでした。作品を作ることになった時、勉強のために様々な作家さんの作品を見ては、良いなと思った見せ方を自分自身も取り入れてみる、それを繰り返しながら制作をしていました。
工作じゃない作品ってなんやろ………と、意味はわからないけど無視できない、そんな問いでした。
最初は、テーマやコンセプトをとにかく書いてディレクターに見てもらうことを続けましたが、ことごとく渋い反応が返ってきて最終的には「それをあなたがやる意味あるの?」といわれる始末。もともと、物事を引きでみる(離れてみる)ことが苦手な私は、堂々巡りの思考に陥り完全に糸口が見えなくなっていました。
自分の変化を探った先に見えたこと
心のどこかで自分の作品に納得できてないのをわかりつつ、やり続けたらいつか理解ができるのではと作品制作や展示会を続けました。それから数年たち、ふと思考の糸口を見つける瞬間がありました。それは「森に行くようになって変わったね」と上司からの何気ない言葉でした。
わたしのどこが変わったのだろう?そして、なぜ変わったのか?と、自問自答を続けてたどり着いた先に自分なりの答えみたいなものが見つかったように思います。
あくまでわたし個人の考えですが「自分がやる意味もあり」「ただ作っただけでないもの」が作品になると仮定した場合、作品には常に作り手の気付きが込められている。自分の心や行動が変わるほどの気付きがあった時、それを周りの人や社会と共有しようとして生まれるものである。
こうやって言葉にしてみると、作品は別に絵や写真にとらわれる必要もなくて、もっと広い範囲で考えていってもいいのかもしれません。