むやみに組織エンゲージメントを高めない。~中世3.0組織論(前半)

湯川カナ

湯川カナ

代表・事業プロデューサー

最近、「エンゲージメント」(愛着度)という言葉をよく聞くし、リベルタ学舎でも組織活性化支援の文脈でよく使う。めーっちゃ大事。だけど使い方を間違うと、うっかり「搾取」の片棒を担ぐことになりかねない。とくに、「自己肯定感」や「生きがい」が世界最低レベルの日本では・・・

■ ”karoshi”が生まれた国ニッポン。

日本でよく聞く「過労死」は、そのまま”karoshi”で、英語でもフランス語でも通じる。なぜか。”sushi”とか”samurai”みたいに、他の国には、んなもん、ないからだ。

<英語版Wikipediaの項>

私がスペインに住んでいた2000年代前半、日本で練炭自殺報道が相次いだことを受けて、この言葉が現地のニュースでよく流れるようになった。
するとスペインの人たちに会うたび、「俺たちは生きるために仕事するんだけど、日本人は仕事するために生きてるんだって⁉」と、すごく驚きながら聞かれるようになった。
(そしていろんなひとから、「カナはスペインに来たから、もう死なないよ」とハグされた)

それくらい、「働きすぎて死ぬ」というのは、かなり日本固有の現象なのだ。

■ 「組織エンゲージメント」の危険性

そんな過労死が生まれるほど「個人の命」への意識がうすい、世界でも特殊な日本で、うかつに流行りの「組織とのエンゲージメント(愛着度)を高めよう!」をやってしまうと、ほんますぐにブラック企業への加担や、やりがい搾取の正当化になりかねない。

だからといって、自分の居場所でもある組織を「騙されないぞ! ここは敵や! 心許すまじ!」と身構えて生きるのは、かなりしんどい。それはそれで、メンタルやられる。「自分を殺す」って、比喩じゃなくて本当のことだと思うんだよ。(みんな、だいじょうぶ?)

■ 「じぶんエンゲージメント」から

なので、組織は、「うん、なかなかいいとこじゃん」と思えるくらいがいいんじゃないかと思っている。
たとえるなら、芝生にごろんと寝転んで青い空を見上げてるときとか、海辺でぼーっとしていたら夕焼けがはじまっていたときとか、静かなバーでグラスのふちを見ているときとか。
そこにいる自分自身をだいたい肯定できるかんじ。


なのでリベルタ学舎は、組織活性化プログラムを行うときは、必ずまずは自分自身とのエンゲージメントを高めるところから始める。
具体的には、会社のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー、使命や理念)を理解する前に、必ず自分のMVVを立てる。

そのうえで、「そんな自分が、この組織で、よりやっていきたいか」を考えるようにする。それが、まっとうな組織エンゲージメントの高め方だと思っている。

組織に吞まれそうなとき、思い出すのは、スペインでの10年間で会った、「自分大好き」なひとたちの顔。

<カタルーニャの田舎道で>


「俺たちは生きるために働くんだ。当たり前だろう?」

記憶の中のみんながそう、問いかけ続けてくれる。

(後半に続く)